廿TT

譬如水怙牛過窓櫺 頭角四蹄都過了 因甚麼尾巴過不得

草野理恵子『世界の終わりの日』がよかった

今日の川柳

いちばん大事なことをいちばんそっけなくいう散文は、かっこいいねえ。ぼくにはそれができないから、くどくどと回りくどく説明するよ。

トンデモ本?違う、SFだ!

トンデモ本?違う、SFだ!

誰がいったか忘れたが「SFってのは、絵だねぇ」というフレーズがある。詩や小説を取り上げてその中に絵画的なイメージがあるという表現を用いるとき、そのニュアンスにはグラデーションがある。

グラデーションの一方は端は文字通り視覚的なイメージ、ていねいな描写で組み上げられた陰影のはっきりとした文字通り視覚的なイメージだ。

百頭女 (河出文庫)

百頭女 (河出文庫)

もう一方の端はもっと「意味」の水準に近いイメージだ。例えばシュルレアリストの、だれだっけ、まあいいや、だれかが書いた「これはパイプではない」というパイプの絵とか、ラッパがめちゃくちゃ燃えてる絵とか、顔がりんごで覆い隠されてる絵とかは目で楽しいというよりも頭で楽しい、そんな絵だ。

「SFってのは、絵だねぇ」というのは、どっちかというと「意味」の水準に近いほうのニュアンスが濃いんだ思う(ほんとは知らないけど)。

草野理恵子は「意味」の水準に近い絵画的イメージを作り上げる詩人だ。

でもその「意味」をかっちり組み上げることなく、でも惜しみなく放り出し、喪失させる。

美味しんぼ(24) (ビッグコミックス)

美味しんぼ(24) (ビッグコミックス)

美味しんぼのカレー対決で海原雄山は自分のカレーを点描に例えた。下手くそがスパイスを使うと絵の具を混ぜ合わせて汚い色にしてしまう子供のようになる。私のカレーはスパイスが混じり合うことなく、それぞれの個性を残したまま、はっきりとした陰影を形づくる。

草野理恵子も紙の上に点を打つように、「意味」のイメージをぽん、ぽんと綴っていく。

でもスーラの絵とは全然違う。そこにはっきりとした陰影はない。もっと全体が白っぽいような黒っぽいような、そんな感じだ。

ぼくは少なくても詩に関してはあまりいい読者ではない。読んでもおもしろいともつまらないとも感じないことが多い。

でも草野理恵子の『世界の終わりの日』はおもしろかった。それは草野の詩が意味とストーリーの芸術だからだろう。

でも本当に意味とストーリーの芸術になってしまったら、『世界の終わりの日』の良さは失われる。

視覚にしてしまったら失われる視覚的イメージ、意味で塗り固めてない「意味」のイメージ、たぶんそのグラデーションで『世界の終わりの日』は書かれている。

世界の終わりの日 (ブックレット詩集16)

世界の終わりの日 (ブックレット詩集16)

  • 作者:草野理恵子
  • 出版社/メーカー: らんか社
  • 発売日: 2019/09/20
  • メディア: 単行本

以上が、『世界の終わりの日』を読んだときにぼくの頭の中で起きていることを説明してみた文章なんだけど、伝わりますか。

要するにあんまり現代詩が好きじゃない読者も、これは好きになれる気がするから読んで見るといいと思うっていうのが言いたかった。