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譬如水怙牛過窓櫺 頭角四蹄都過了 因甚麼尾巴過不得

ミンちゃんの『たぶん絶対』

MINTからMinchanbabyに名前が変わったのに慣れてないので、本エントリではラッパーMinchanbabyをミンちゃんと呼ぶことにします。馴れ馴れしいかもしれないので先に謝っておきます、すみません。

たぶん絶対

たぶん絶対

ラップがおもしろいのはラッパーがおもしろいからだ、みたいなところがある。
ストイックな「音楽リスナー」は音楽から耳を楽しませる音以外の要素を削り落とそうとするのだろうか。
ベートーヴェンは耳が不自由なのに第九を書いたからすごい、とか言われたらたぶんぼくも「それは音楽の音楽としての良さとは別のことだろう」と思うと思う。
でも音楽からそういう「文脈」みたいな要素を一切抜いてしまったらそれはそれでつまらない。

で、ぼくが好きなヒップホップというジャンルは文脈だらけの音楽だ。ラップは「ラップシーン」とか「ラップゲーム」抜きには成立しにくい。流行り廃りが激しくて数年で音の質感がガラッと変わる。シーンの流れに沿って身につける服も変わってく刻一刻。いまは太いジーンズは履きません、とか言ったりする。

ミンちゃんは時代の流れには人一倍敏感なラッパーだ。

アフター・スクール・メイキン・ラブ

アフター・スクール・メイキン・ラブ

初のソロアルバム『After School Makin' Love』ではいち早くサウス(アメリカ南部産っぽいビート)のサウンドに乗っかり、『たぶん絶対』ではそれがさらに進化して現在進行系のトラップ(というラップミュージックのサブジャンルがあるんです)っぽいビートで自在にフローする。

「自在にフローする」というのは実はちょっと嘘で、ミンちゃんは母音をすごくはっきり発音して、しかも韻をしつこく踏むから声がビートとまた別のリズムを作ってハマったり外したりしながらまとわりつくような感じになってすごく変なのだ。そこがきもちいい。

つまりミンちゃんは時代の流れに乗っかりそれを自分のものとして消化する能力がある。でも『たぶん絶対』は、こいつはこいつをフックアップしたから偉いとか、そういう「ラップゲーム」とか「ラップシーン」とはめちゃくちゃ距離を置いてる。

「才能のむだづかい」という使い古された成句を使うことを許してほしい。ミンちゃんのラップは以前から才能のむだづかい感が半端なかった。
きっちり韻を踏みながら起承転結を展開させる作詞能力があるのに、言ってることはだじゃれとか下ネタ、でもそのなかにちょいちょい顔を出す叙情性、センチメンタリズム、そこが好きだった。むしろセンチメンタルな部分をごまかすために、わざとしょーもない話をしてるのかなって感じさせる。もーお前らどーでもーいー、でもさみしい、みたいな。

才能の無駄づかいは本作でも共通していてたとえば『蛇田ニョロ』は、名前のとおり『蛇田ニョロ』という名前の蛇が一人称でしゃべる曲である。なんでやねん。なんでそんなことすんだよ。知るか。意味なんかねーよ。

そんなミンちゃんの自暴自棄っぽいところ、じぶんを冷めた視点で見るところはちょっと行き過ぎてしまった。

本作『たぶん絶対』では一切声を張らずに淡々と、ミンちゃんは終始、金のトラブルや加齢や諦め、自殺未遂を語る。飛び降りもオーバードーズも嘔吐もだじゃれにされる。

ミンちゃんのアルバム『たぶん絶対』はミンちゃん自身が歌詞を書いて、ミンちゃん自身が歌ってなかったらまったく意味がない。ミンちゃんの音楽をミンちゃんから切り離して聞くことはできない。ミンちゃんの音楽をもっと聞きたいぼくはミンちゃんに生きていてほしい、めちゃくちゃ無責任で自分勝手だけど、肉食え肉。売れてほしいなー。ちゃんとレビュー書きたいけど語彙がない。
アフィリエイト貼っとくので、買ってください。よろしくお願いします。

たぶん絶対

たぶん絶対

ちなみにフリースタイルダンジョンで絶賛活躍中の呂布カルマもMINTをフィーチャリングしたことがあります。

The Cool Core

The Cool Core

MINTのバースが「時代は90年代」なんてはじまるもんだから、「お、そういえばミンちゃんがこういうオーセンティックな90年代(90年代はヒップホップのある種の黄金期)っぽい曲でラップするの久しぶりだな」って思ってると、「90年代の後期」ってミンちゃん好みの若い女の子が生まれた年のことなのね。

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