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廿TT

譬如水怙牛過窓櫺 頭角四蹄都過了 因甚麼尾巴過不得

反ヘイトの野間易通やbcxxxがなんでサブカル叩きをしてるのか、代わりに説明する

はじめにお断り

元ネタこれね → 結局なんで反ヘイトがオタクたたきやサブカルたたきになってるんでしょうか | ask.fm/yuuraku618

こういう話をすると「俺は君みたいな何も行動もせずにweb上の薄っぺらい情報を見て騒ぐだけの薄っぺらい人間が嫌い」「死ね」(原文ママ = デモとツイッターと反ヘイト運動の偏狭化 - 廿TT)とか高みの見物冷笑家とか言われるんだけど、まあ、あせらず聞いてくださいな。

いまこういう話が必要な理由を、これからちゃんと書くから。

野間易通らのサブカル叩き

いま、在日外国人への差別(レイシズム)はけっこうひどい状況になってる。

それに対して反レイシズム活動、デモなどを積極的に展開している人物の一人が野間易通だ。

この行動は本来的にはありがたいし頼りになる、自分もその行動に加わりたいと思うようなものであるはずだよね。

でも、現状そうはなってない。

政治運動における「死ね」について(「安倍死ね」の論理2) (3ページ目) - Togetterまとめ などで、なぜか彼らは「サブカル」を攻撃し、まったくかみ合わないやりとりを繰り広げている様子が見られる。


サブカルヒエラルキー

野間たちの頭の中にある「サブカル」の構図は、小野ほりでいが指摘した「サブカルエリート主義」にもとづく「サブカルヒエラルキー」だ。

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”超”初級サブカル女子入門 - トゥギャッチ

「特別な人間になるためには、俯瞰されたら負けなの。俯瞰されてカテゴライズされないためには、よりマイナーな方向に流れていくしかないのよ。」
「だけどエリコちゃん、人は誰も特別になりたいのよ。自分のすることで特別になれないなら、自分の価値観や好きなもので特別になるしか道が残されていないの。」
これをつきつめていくと、
「な… 何も好きじゃない人間が頂点に立っている!?」
となる。

野間が批判してるのは、
ヘイトスピーチ最悪だね」
「でもカウンター側もなー」
という何も好きじゃない人間が上位に立つかのような態度だ。

人種差別を批判するのは差別じゃない。差別に対して寛容でいるのは差別だ。

本義のメインカルチャー

でもちょっとまって欲しい。小野ほりでいが「メインカルチャー」と呼んでるのは、本来的な意味でのメインカルチャーではない。

本来サブカルチャーと対比されるべきはアカデミックなカルチャーだった。

普通に考えればサブカル的価値観が嫌いならメインカルチャーに行けばいい。つまり世の中の向こう側にはメインカルチャーというものがある。教養とアカデミズムがある。でもそっちにはいかず、サブカルチャーの中で「ワンピース」やB'zを敵視しているのだった。「ワンピース」もB'zも村上春樹サブカルチャーだよ!

だからもうちょっと視野を広く持とう。アカデミズムは大事だよ、という話だった。

https://plus.google.com/+KiichiroYanashita/posts/8uCkFLptAfy

でもいまやこの地位は逆転してしまっている。

現代日本のスクールカースト

もし日本が30人学級だったら、たぶんこんな感じになる。

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「ふつう」の人 ヤンキー オタク サブカル どれでもない
10 8 8 3 1 30

「ふつう」の人っていうのは、ゴールデンタイムのテレビをふつうにおもしろいと思って見ていて、テスト前にはテスト対策としてテスト勉強をして、オリンピックでは浅田真央ちゃんの演技に感動するような人たちだ。

「本当僕のイメージする「世間」っていうのが僕の姉なんだよね。」(永田兄弟)

どうもそれだけじゃなんかつまらん、と思った人はオタクかヤンキーになる。

で、オタクにもヤンキーにもなれないやつは「サブカル」に行く。サブカルはヤンキー系カルチャーやオタク系カルチャーとも一部親和性がありながらも、「○○ちゃん萌え〜」とか「俺らは暴走族じゃないぜ旧車會だ」とかは言わず、一歩引いたちょっと斜めの視点から楽しむ。

オタクにもヤンキーにもサブカルにもなれなかった、どの輪の中にも入れない究極の落ちこぼれ「どれでもない」層だけが、実ははじめて本義でのメインカルチャーにアクセスする可能性を持っている。

教養と学問

柳下毅一郎が「教養とアカデミズム」と読んでいるもの、つまり古臭い民主主義と学問の力をメインカルチャーとして再復活させなければならない、とぼくは思っている。

あなたは民主主義的な価値観なんていまの日本ではあたり前になってると思うかもしれない。

でもぼくはぜんぜんそうは思わない。

いまの民主主義の基盤になっている「立憲主義」みたいな考え方をどれだけの人が知ってくれている?

憲法が国民の行動を規制するためのものでなく、国家権力をしばるためのものだと認識している人がどれだけいる?

ふつうにテスト対策で勉強してるだけだと、「国民の三大義務:勤労、納税、教育」と暗記するだけだ。

電車の中吊り広告で週刊誌の見出しをながめたり、テレビのニュースをみたりしても、わかるのはどこの党が勝ったとか負けたとか派閥がどうとか、短期的な政局だけだ。

そういう情報に「ふつうの人」層がアクセスできない。

あるいはテレビ的にはフェミニストの代表格って田嶋陽子じゃん。

田嶋陽子がどういう思想を持ってどういう活動をしてるのか、ぼくは不勉強なので知らないけど、『TVタックル』とかでの田嶋陽子のキャラ付けって、「小うるさいヒステリックなブス」っていう、男性優位社会からみたフェミニストのイメージそのものじゃん。

女性に参政権を与え、男女雇用機会均等法を成立させた女権拡張運動の功績が、テレビには映らない。

そして、あなたは科学技術が世界を支配してると思ってるかもしれないけど、ぼくはそんなことないと思う。

血液型性格診断を知らない日本人はまずいないけど、生まれてくる子の血液型を決めるメンデルの法則をどのくらいの人が理解しているだろう。

あるいは物理学者の菊池誠ツイッターアカウントをフォローしてると、放射能関連デマや、EM菌などの疑似科学に関する訂正を懇切丁寧にやって、結果「御用学者」だのなんだのと呼ばれるという光景が日夜くりひろげられている様子が目に入り胸が痛む。

原発事故のリスクを正しく評価しよう、韓国と日本の歴史を正しく把握しようという、科学的なモチベーションの活動が、単にサブカルヒエラルキーの頂点に立ってる連中の冷笑高みの見物だと思われてしまっている。

あらゆる価値判断を放棄してなんでも相対化するのと、科学的な意味で客観視しようとすることはまったく別の営みだ。それが混同されてしまっている。

これじゃ話が通じるわけないし、建設的な議論になんかなりっこない。

「サブカル」ガチ勢は本当は死ねって言っていい

さて、冒頭でとりげた、
政治運動における「死ね」について(「安倍死ね」の論理2) - Togetterまとめ
では、町山智浩が「死ね」とか言うなって言ったのが発端になっていた。

でも本当はウェイン町山は「死ね」っていっていいんだよ。っていうか言ってるし。

ウェイン 『プレジデント』って笑うよ。「桶狭間に学ぶ経営術」とかいって。んなもん役に立つか(笑)。
ガース 本当にできるビジネスマンは英語で『Wall Street Journal』とか読んでるって。
ウェイン 『プレジデント』とか島耕作とかトム・クランシーの読者って、「オレはビジネスという戦場を生きるサムライ」とか思ってるんだろうな。バカか。死ね。


――町山智浩柳下毅一郎(2004)『ファビュラス・バーカー・ボーイズの映画欠席裁判2』洋泉社

だっていま「サブカル」って総称されるようなものを作ったのが町山智浩なんだから。

映画秘宝』は上司に恵まれず左遷されて「ふざけんなバカぶっ殺すぞ」って思いながら、町山智浩がそれでもなんとか自分で自分の場所を作り出した雑誌なんだから。

メインカルチャー(科学、テクノロジー、民主主義)の進歩によって、だいたいの人は豊かになるが、局所的な軋轢はメインカルチャーでは救えない。

例えばいま現に、「韓国人は日本から出て行け」とか「死ね」とか言われてる状況のもとで、「うん。でも死ねとか言い返しちゃだめだよ」っていうのは、在日コリアンに対する強烈な抑圧ではないの?

そういうとき、本義での「サブカル」は「うるせーボケ死ねっていうやつが死ね」って言っていい。

だから例えばECDは「ネトウヨ死ね」って言っていい、本当は。

ECDの新譜が出たときになんとなく「ECD」で検索したら、「ECD 在日」っていうキーワードがサジェストされて『保守速報』とかいうサイトがECDに「反日」だの「在日」だのというラベルを貼って罵倒してるのが目に入って、まじでむかついたけど(むかついたのでリンクもしないけど)、本当はECDは「ネトウヨ死ね」って言っていいんだ。

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ECDは「まだこの国にラッパーが3、4人しかいなかった」ころから、楽器も弾けない、高度な教育も受けられない層がそれでも(暴力に頼らずに)自分を表現する手段である「ヒップホップ」っていう表現を作り出した人なんだから。

NO LG

NO LG

  • ECD
  • Hip Hop/Rap
  • ¥250

「アタマん中にある理想のラッパーは」「アクションもこなす銃もぶっぱなす」
ラッパーはそれでいい。

エキスパンダー

エキスパンダー

  • ECD
  • Hip Hop/Rap
  • ¥250

同じ理屈で「ネトウヨ」が本義での「サブカル」であるなら靖国神社を賛美していい。

かつて、国家と宗教は密接にむすびついていました。

近代国家の成立は絶対王政からスタートしました。絶対王政の背景には、王権神授説がありました。
王様は神から選ばれた存在でした。

その後王権神授説は次第に否定され、社会契約説が生まれます。ホッブズは国家という歯止めがなければ、万人の万人に対する戦いが生まれるであろう、だから軍隊や警察などの暴力機関は国家に預けおくのだ、と主張しました。

社会契約説は現在の民主主義の基盤になるものでしょう。

しかし、「万人の万人に対する戦い」は近代国家の成立によってなくなりましたが、国家と国家の戦いはなくなりません。

近代国家は戦争によって大量の死者を出しました。そして、国家の責任によって生じた死者をどう「慰霊」するかという問題が生じます。
絶対王政の時代であれば、戦争は神の代理人である王様によって行われ、慰霊はキリスト教の神に仕える宗教者が行います。
しかし、民主主義によって信仰の自由が保証されることによって、「慰霊」は徹底的に個人依存のものになりました。

靖国参拝はいまでも定期的に話題になりますが、民主主義国家というものは国家の責任によって生じた死者の慰霊をどうするか、という問題を常にはらんでいるものなのです。

土着信仰、民話、伝承風の都市伝説についての一考察 - 廿TT

こういう局所的な軋轢から生まれるフラストレーションを解決することは、メインカルチャーにはできない。

ただし上記はすべて、サブカルチャーが本来のサブカルチャーの地位に留まる限りにおいて、だ。

ネトウヨ」も、またそれに対するカウンター勢も、いまはサブカルチャーが主流派になってしまっている。

この状況で「死ね」や「靖国賛美」を肯定することはできない。

伝統的な民主主義の価値観が健全な常識として機能していない状況でそれらを肯定すると、「サブカル」が「サブカル」を叩くだけのまったく不毛な議論にしかならない。

それが行き過ぎるとリンチやテロやファシズムが生まれる。
(相手がどんなに悪いやつでも、集団が個人に対して「死ね」とかいうのはリンチですよ。)

ラッパーが安心してパーティーをやれるようにするために、「サブカル」を作ってきた大槻ケンヂ電気グルーヴナゴムレコードボアダムスや非常階段やアルケミーレコードが安心してライブハウスをグチャグチャにできるように、みうらじゅんが安心してカスハガを集めてられるように、ネトウヨが安心してネット弁慶でいられるように、ボンクラが安心してゴミ映画を見てられるようにするために、ぼくらは古臭い民主主義と伝統的な学問をメインカルチャーとして復活させる必要がある。

グミ・チョコレート・パイン グミ編 (角川文庫)

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むすび

これを読んでもなお「ネトウヨ靖国参拝と反ヘイト運動を同列に扱っている! どっちもどっち主義者だ! 恥を知れ!」とか言ってくる人たち、ぼくは君らにかける言葉を持ち合わせていない。

駆り立てられるような使命感や義務感、焦燥感が出てきたときは心が弱ってるサインで、それがお仕事に向けられてる場合なら「いや、休む訳にはいかない」と言われても「いいから休め。かえって効率が落ちる」で突っぱねて休ませるんだけど、それが社会運動に向けられた場合、しかもその現実認識が必ずしも妄想的と言い切れない場合、正直どうしようもない。

ごめんね。