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廿TT

譬如水怙牛過窓櫺 頭角四蹄都過了 因甚麼尾巴過不得

デモとツイッターと反ヘイト運動の偏狭化

現場ってどこだよ


ほんまに近頃の若いもん
のほーがめっちゃ頭固いもん
なんや言うたら現場、現場
もーお前らからの電話出んわ

本文

小田嶋隆と野間易通のやりとり - Togetterまとめ をまとめました。

これに対するぼくの意見を書いていきます。

野間易通は「レイシストをしばき隊」の設立者で、在日特権を許さない市民の会などの行う差別的・排外主義的と思われるデモに対するカウンターデモを積極的に行っている人物です。

野間易通 - Wikipedia


冒頭の小田嶋の発言、ぼくはこれをほぼ全面的に指示します。

行動しないマジョリティーを軽蔑→主張に共通する部分があっても路線の異なるメンバーを排除→セクト化→カルト化→テロ化
まあ、一本道ですよ。


なんらかの行動をしている人間が行動しているということを根拠に選民意識を抱きはじめたりしたらそれこそカルト一直線だと思うのだが。



「行動もしてないヤツが文句言うなよ」てなことを言って、行動に加わってくれるかもしれない人間を敵にまわすことで、あの人たちはいったい何を達成したいのだろうか。永遠に「行動する勇気を持った少数者であるオレ」であり続けたいということなのか?

野間はこれに答え、やりとりはこう続きます。

小田嶋『行動に加わってくれるかもしれない人間を敵にまわすことで、あの人たちはいったい何を達成したいのだろうか。』
野間『「反ヘイト程度のことでいちいち誰かの運動に "加わ" らずに自分でやる人が増える事態」ですかね。客商売じゃないので。』
小田嶋『おっしゃっていることの意味が了解できないのですが。』

ぼくも最初、野間の発言の意図がわからなかったのですが、「運動のやり方が下手だ、というなら別に誰かの運動に加わらずに自分でやればいい」ということではないかとおもいます。


野間の発言はこう続きます。

その「大きな間違い」とは、「行動しないマジョリティーを軽蔑」の部分で、ここは正しくは「行動しないでトンチンカンな論評ばかりやりたがるマジョリティーを軽蔑」です。単に行動しないだけの人は単に誘われたりするだけです。


さらにもうひとつの大きな間違いは「主張に共通する部分があっても路線の異なるメンバーを排除」ってところで、そもそも排除する主体も枠組みもないのに、何から排除されるというのか。あなたたちは単に反批判されているにすぎない。


同じ組織の「メンバー」でもないアカの他人に単にネット上で反批判された程度のことで「セクト化→カルト化→テロ化」とか陳腐極まりないこと書くのやめてほしいです。もう飽きた。それとも「メンバー」にならないと何もできないの?

しかし、野間のいう「行動しないでトンチンカンな論評ばかりやりたがるマジョリティーを軽蔑」とはなんでしょうか。

小田嶋は「行動」してないの? 小田嶋はコラムや SNS で差別的な発言を論評しています。

柳下毅一郎の発言が正しければ、自腹で意見広告まで出しています。

小田嶋隆って大久保の差別デモ反対運動で、自前で金払って意見広告出してなかったっけ?

それはなぜ「行動」にならない? それはなんで堂々と「軽蔑」の対象とされるのでしょうか? 自分たちの「行動」だけを特別視しているからではないでしょうか。

この野間の発言は、
「なんらかの行動をしている人間が行動しているということを根拠に選民意識を抱きはじめたりしたら」
という小田嶋の批評の枠組みにそっくり当てはまってしまっています。

野間はこうして「主張していることに肯うべき点があるのだとしても、礼儀正しく話しかけてきている人間に対して横柄な態度で対応している時点で、大勢の人間に動員を呼びかける立場の人間としては失格ですよ。単純にハタから見てて気分悪いですから。」という、小田嶋の批判も無視します。

これはまさに「主張に共通する部分があっても路線の異なるメンバーを排除」していることになるとおもいます。

無視は排除じゃないのかな?

でもこうやって自己批判できないようになってしまうと小田嶋の言う

行動しないマジョリティーを軽蔑→主張に共通する部分があっても路線の異なるメンバーを排除→セクト化→カルト化→テロ化
まあ、一本道ですよ。

という筋書きから逃れにくくなります。

実際これはかつての学生運動や、オウムやポル・ポトのたどった経路です。

反ヘイト運動については、さすがに「テロ化」まではいかないんじゃないかなとぼくは期待してますが、「カルト化」は起こりつつあります。

  1. 町山智浩氏「『安倍死ね』 はヘイトではない。 権力者に対する抗議は自由だ」 - Togetterまとめ
  2. 政治運動における「死ね」について(「安倍死ね」の論理2) - Togetterまとめ

「私刑の論理」を肯定している人のサンプル例。 - Togetterまとめ(リンク先を間違えたので、貼り直し 10/5)
上2つのまとめのように、反ヘイト陣営は「安倍死ね」はヘイトじゃない、と言い切っています。

例えば、「赤狩り」は思想差別だよね? じゃあ「ネトウヨ刈り」は? やっぱりネトウヨ刈りも思想差別です。

野間は「どっちもどっち」みたいな相対主義はダメ、と強調しています。
反ヘイト集団“しばき隊”は正義なのか? 首謀者・野間易通に直撃!|LITERA/リテラ 本と雑誌の知を再発見

それはその通り、どんな思想だとしても「チョン死ね」「日本から出て行け」とかいう発言が肯定されるわけがありません。

一方で、「安倍死ね」はなぜ積極的に肯定していいことになっているのか?

これは傍からみれば非常に難解な理屈で、言ってしまえば「教義」で、自分たちのヘイトはヘイトじゃない、と主張しているようにしかみえません。「カルト化」です。

もちろん、被差別者が差別者に対して、上品な言葉でおきれいに抵抗することしかできないのは苦しいことでしょう。

差別に追い詰められた結果として、「死ね」とか口走ることもあるでしょう。
しかしそれが否定されないのは言わば「情状酌量」であって、決して積極的に肯定される行為にしてはいけません。

どんなにひどいやつでも、そいつ個人に対して集団で「死ね」ということが肯定されるようになれば、それはリンチです。「テロ化」の一歩手前です。

「そんなやり方では支持をえられない」という人が現れるときって、たいていめっちゃ広がってきたときなんだよね。本当に広がらなかったものは、その人たちの目にとまらない。

それを言ったら、めっちゃ広まったのは在特会だって同じでしょうが。

ぼくは当初、しばき隊の活動を高く評価していました。

その活動が今後さらに洗練され、みのりのあるものになることを願っています。

その他参考

ゴーマニズム宣言差別論スペシャル

ゴーマニズム宣言差別論スペシャル

新ゴーマニズム宣言スペシャル脱正義論

新ゴーマニズム宣言スペシャル脱正義論

ゴー宣『戦争論』は思想以前に事実誤認だらけ、ソースがテレビで見た映画だったりするし、ひっでえ代物ですが、『差別論』『脱正義論』はおもしろいです。

特に『脱正義論』は運動自体が自己目的化していくプロセスをそのまんま描いています。


山形浩生

は、こういった偏狭性がなぜ生まれるのかについての考察です。

最後に蛇足ながらぼくの過去エントリです。

facebook と「ネトウヨ」 - 廿TT