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廿TT

譬如水怙牛過窓櫺 頭角四蹄都過了 因甚麼尾巴過不得

原因のキャラクター化と妖怪

妖怪

 山でおーいというと音が反響しておーいと返ってくる。
 これをコダマとかヤマビコとかいうが、コダマは木霊、木魂であり、木の魂だ。
 ヤマビコは山彦であり、「彦」というのはたいてい男の神さまにつけられる名前である。すなわち、ヤマビコは山の神さまみたいなものだ。

 木霊も山彦も妖怪だ。

木霊 - Wikipedia
山彦 - Wikipedia


 鳥山石燕は家鳴り(家がガタガタなる現象)に小鬼が家を揺すっている絵をつけた。
 「家鳴り」は「家」が「鳴る」という現象の名前なんだろうけど、こうやってキャラクター化されると妖怪になってしまう。

家鳴 - Wikipedia


 砂かけ婆は「砂が降ってくる」という不思議な現象の原因である。
砂かけ婆 - Wikipedia

 かまいたちは「知らないうちに体に傷がついてる」という不思議な現象の原因である。
鎌鼬 - Wikipedia

 袖引き小僧は「袖が引っ張られたのに振り返るとだれもいない」という不思議な現象の原因である。
袖引小僧 - Wikipedia

 袖もぎさんは「いつの間にか袖がもげてる」という不思議な現象の原因である。
袖もぎさん - Wikipedia


 これらはまず不思議な現象があり、その解釈として生まれた妖怪だ。
 人間はものごとには原因がある、と考えずにはいられない。
 不思議な現象とはなにか。おそらく原因が目に見えない現象だ。

魔術と科学と云うのは、本来同義と考えるべきだ。白魔術と云うのは自然科学(サイエンス)、黒魔術と云うのは隠秘学(オカルティズム)だ。
(中略)
白魔術と云うのは要するに原理原則が詳(つまび)らかになっている魔術で、黒魔術とはその原理原則が暗箱(ブラックボックス)に入っている魔術のことと考えればいい。


――京極夏彦『絡新婦の理』(講談社ノベルス)pp.681-682

絡新婦の理 (講談社ノベルス)

絡新婦の理 (講談社ノベルス)

 ここからちょっと話が飛ぶ。

 フックの法則(ばねの伸びが荷重に比例する、というあれだ)で有名なロバート・フックは、万有引力が逆二乗則に従うことをニュートンより先に発見した、と主張してニュートンと熾烈な論争を展開した。ニュートンの発見は、フックの考えかたを発展させたもの、と見るのがフェアな評価らしい。

 しかし、フックは磁力や引力を「なにもないところを勝手に伝わる不思議な力」とは考えていなかった。
 これらはなんらかの微細物質があり、それが媒質として運動を伝えているから生じるもの、と考えていた。こういう考えかたのことを機械論と呼ぶ。

 フックは顕微鏡を使った自然観察を行ったことでも有名で、彼の描いたノミやシラミのスケッチは、いまでも生物学の教科書にそのまま載せられるくらいクオリティが高い。

ロバート・フック - Wikipedia
↑顕微鏡を発明したレーウェンフック(アントニ・ファン・レーウェンフック - Wikipedia)とは別人ね。


 一方、ニュートンは「なにもないところを勝手に伝わる不思議な力」――遠隔力を物質に備わる基本的な存在として認めてしまった。
 機械論の立場から見れば、そんなのは魔術を認めるのとほとんど同義だったのだ。
 実際、「なにもないところを勝手に伝わる不思議な力」である磁力は、魔術、というか神秘的なものだった。

 例えば、古代〜中世には「武器軟膏」というのがあったそうだ。これは傷口ではなく武器に塗ることで負傷した兵士を治す、というおまじないみたいなものだが、これが「磁気治療」と呼ばれていた。

 なぜニュートンはそんな得体のしれない「なにもないところを勝手に伝わる不思議な力」を仮定できたのか。
 それは彼が聖書や錬金術の研究にも力を注いだオカルティストだったからだ。

磁力と重力の発見〈1〉古代・中世

磁力と重力の発見〈1〉古代・中世

↑「武器軟膏」などについては一巻を参照。

磁力と重力の発見〈2〉ルネサンス

磁力と重力の発見〈2〉ルネサンス

↑フックとニュートンについては二巻を参照。


 重力はいくら顕微鏡を使っても見えない。

妖精も妖怪もその「もと」は霊なのだと思う。すなわち目に見えない存在、脳でいうと「無意識の世界」にいる住民といったほうがわかりやすいかもしれない。(p.31)


要するに、意識して見ようとすると逃げるのは、日本でも同じである。 (p.129)



――水木しげる『妖精画談』(岩波新書

カラー版 妖精画談 (岩波新書)

カラー版 妖精画談 (岩波新書)

 オカルティズムもサイエンスも現象に対する解釈として生まれる。
 しかし、オカルティズムでは背後に神的なもの、霊的なものを仮定する。
 ぼくはこの「擬人法」、「擬人化」こそが因果関係を考える土台ではないかと思っている。

なるほど、昔の作文の教科書では、比喩は言語活動上のたんなる余技とされがちだったが、じつは、まさに言語の土台にほかならなない。


——ジュリアン・ジェインズ 『神々の沈黙―意識の誕生と文明の興亡』 柴田 裕之 訳(紀伊國屋書店

神々の沈黙―意識の誕生と文明の興亡

神々の沈黙―意識の誕生と文明の興亡


 人間はものごとには原因がある、と考えずにはいられないが、それはなぜか。
 「ものごとには原因がある」と考えたほうが生存に有利だからだ。
 「ものごとには原因がある」と考えたほうが生存に有利になったのは、群れの中の政治的な駆け引きが生き死にに大きく影響する環境が生まれたからではないか。

 自分がエサをもらえたのは仲間が場所をゆずってくれたからだ。
 自分がいまメスにありつけないのはボス猿のだれそれのせいだ。

 そういう政治がないなら、単純に悪いものからは逃げる、良いものには近づく、という反射で十分生き残れる。
 原因と結果の関係を考えることのはじまりは、背後にキャラクターを仮定することにあるんじゃないのか。

マキャベリ的知性と心の理論の進化論―ヒトはなぜ賢くなったか

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↑読んでません。

 ただし原因のキャラクター化は妖怪の素であって妖怪そのものではない。
 水木しげるのいう、妖精や妖怪や神さまの「もと」となる「霊」が、ぼくのいう「原因のキャラクター化」である。

 砂かけ婆はなぜ婆なのか。かまいたちはなぜイタチなのか。

 カミナリは神鳴りだ。
 けど、雷様は妖怪とは呼びにくい。
 雷獣は妖怪だ。
 この違いはなんなのだろう。

雷獣 - Wikipedia

 妖怪は一筋縄ではいかない。



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