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廿TT

譬如水怙牛過窓櫺 頭角四蹄都過了 因甚麼尾巴過不得

割れ窓理論にまつわるうわさを整理しよう。そして見えざる権力を見える化しよう。

人文系 経済

割れ窓理論は防犯を目的とした主張でない?

タンブラーでこんなポストを見つけた。

ちゃんと論文を読んだところ、割れ窓理論は防犯を目的とした主張でないことがはっきり分かった。犯罪ではなく、「中流階層の市民が感じている不安」を取り除け、という内容。

犯罪件数が減らなくても、街の中からホームレスや、精神疾患者や、アル中や、たむろした若者が減ったら、中流階層の人たちは「安全になった」と感じる。それが目当て。
Twitter / @emigrl

http://shibata616.tumblr.com/post/14811017860

これはちょっと的を外している。でも、完全にまちがってるってわけでもない。そのへんちょっと説明してみる。

まず割れ窓理論とはなにか

割れた窓を放置しておくと、他の窓も割られやすくなる、という話。
ゴミだらけのところにはゴミのポイ捨てしやすいけど、ホコリひとつないところを汚すのはなんとなく気がとがめる、そんな感じで軽犯罪の取り締まりを徹底したり落書きをこまめに消したりすることで、重大な犯罪も起こりにくくなるのだ、という理論。

ニューヨークのジュリアーニ市長が政策に反映させて、ニューヨークの犯罪を激減させた、として有名になったけど、考案者のジョージ・ケリングはジュリアーニ以前からこれに近い施策を実践していたらしい。

割れ窓理論 - Wikipedia

「ちゃんと論文を読んだところ」

割れ窓理論の元ネタの論文というのはこれだ → GEORGE L. KELLING AND JAMES Q. WILSON, 1982, "Broken Windows: The police and neighborhood safety"

ここに日本語の全訳がある → 割れた窓ガラス ―警察と近隣の安全―

全文脈をすなおによめば、この文章の主眼は「地域住民と地元の警察官の関係」にある。

タイトルの割れた窓ガラスBroken Windows)がキャッチーな分、「割れ窓理論」がある種バズワード化しちゃってる。

この文章はまず警察官が徒歩でパトロールした事例を紹介している。

誰も驚くことはないであろうことに、徒歩でのパトロールが犯罪率を下げることはなかった、と財団はまとめた。しかしながら、徒歩でのパトロールが実行された地域の住民は、実行されなかった地域の住民よりも身の安全を感じ、犯罪が減ったとさえ思うようになり、犯罪から身を守る手段の度合いを下げるようになったようであった。

割れた窓ガラス ―警察と近隣の安全―

で、次にこう述べる。

断固とした懐疑者は、熟練した徒歩パトロール警察官が秩序を保つことが出来ることを認めるであろうが、しかし依然として、暴力的犯罪など住民が本当に恐れているものの根本的な解決にはならないと主張するであろう。それは正しくもある。しかし、次の二つの事を心にとめておかなければならない。

割れた窓ガラス ―警察と近隣の安全―

「次の二つの事」の一つ目は、地元住民の不安が取り除けたんだからいいじゃん、「本当に恐れてるもの」は犯罪そのものより「無秩序」だったってことでしょ? という感じの主張。

「次の二つの事」の二つ目、割れた窓ガラスの話はここではじめて登場することに注意しよう。

もう一つは、無秩序と犯罪は切り離せないがつながりを持っているということである。無秩序が犯罪へと発展していくかのように、である。社会心理学者、警察官の両者とも認められていることに、1枚の割れたガラスを放置しておくと、外のすべての窓ガラスが割られてしまう、ということがある。これは、荒廃した地域に限ったことではなく、環境の良い地域でも同じ事が起きる。ガラスが割られる事は、必ずしも大規模で起こるわけではない。というのは、“窓ガラス破壊者”が多く住んでいる地域もあるが、“窓ガラス愛好者”によって占められている地域もあるからである。むしろ、放置されたままの壊れた窓ガラスが、誰も関心を持っていない、他の窓ガラスを壊しても構わない、というサインになるのである。(窓ガラスを割るのは楽しいことでもある)

割れた窓ガラス ―警察と近隣の安全―

で、その論拠として引用されるのは別の論文だ。
これ→Phillip G. Zimbardo, "The Human Choice: Individuation, Reason, and Order Versus Deindividuation, Impulse, and Chaos" (1969)

おわかりいただけただろうか。

冒頭のタンブラーのポストに戻ると、

  • 『犯罪件数が減らなくても、街の中からホームレスや、精神疾患者や、アル中や、たむろした若者が減ったら、中流階層の人たちは「安全になった」と感じる。それが目当て。』→これは正しい。
  • 割れ窓理論は防犯を目的とした主張でないことがはっきり分かった。犯罪ではなく、「中流階層の市民が感じている不安」を取り除け、という内容。』→これは微妙。

割れ窓理論」という言葉がなにを指してるのかはっきりしないので、間違いとはいえない。
けど、「直接犯罪件数を減らせない施策でも、犯罪を誘発する要因を減らすことによって、間接的には防犯に貢献できるんじゃないかなー?」という示唆は元ネタの論文にちゃんと含まれてる。

割れ窓理論の評価

さて、割れ窓理論は「ニューヨークのジュリアーニ市長が政策に反映させて、ニューヨークの犯罪を激減させた」っていうことで有名になったんだった。

しかしニューヨークの犯罪件数を減少させた要因がなんなのか、っていうのは意見が分かれるところだ。

レヴィットは、90年代のニューヨークでの犯罪減少の要因を下記の四つぐらいで説明している。

  1. 警察官の増員
  2. 銃規制の強化
  3. 麻薬市場の変化
  4. 中絶合法化

警察官増員と、銃規制の強化で犯罪が減るのは当然として、麻薬市場の変化と中絶合法化については説明が必要だろう。

麻薬市場の変化っていうのはこういう話:コカインがあんまり儲からない商品になっちゃって、ヤクザの勢力が衰えた。

中絶合法化っていうのはこういう話:中絶合法化によって、恵まれない家庭で望まれずに生まれてくる子供が減る→恵まれない家庭で望まれずに生まれてきた子は、犯罪者になりやすい→よって中絶が合法化されると犯罪者予備軍も減る。

僕はレヴィットの議論が正しいと思う。

  • アメリカの犯罪はニューヨーク以外の地域でも減っていたこと
  • 施策開始の時期と犯罪減少の時期

などを見て欲しい。

詳しくは『ヤバい経済学』を参照。

ヤバい経済学 ─悪ガキ教授が世の裏側を探検する

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↑ぼくが持ってるのはこっちだが、

ヤバい経済学 [増補改訂版]

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↑増補改訂版が出てるみたいなので今から買うならこっちだろう。

環境犯罪学の成立

注意して欲しいのは、世の中ってけっこう複雑だっていうことだ。
科学の発展っていうのは、論文一本、実験一回、天才一人の力によって成されるものではない。

ジュリアーニはこう言ってるけど、レヴィットによって反駁されました。はい、おしまい。」ということにはならない

割れ窓理論」はある種バズワード化しちゃったけど、「直接規制を強化するんじゃなくても、犯罪の起きにくい環境をつくることで犯罪を減らすことは可能ですよ」というメッセージは正しい。

そういった犯罪の起きにくい環境、起きやすい環境、といったものの研究は進んでいて環境犯罪学という分野が発展してきている。

こうすれば犯罪は防げる 環境犯罪学入門 (新潮選書)

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谷岡一郎の本はどれもけっこうおもしろくて、この記事とは関係ないけど、「社会調査」のウソ―リサーチ・リテラシーのすすめ (文春新書)ツキの法則―「賭け方」と「勝敗」の科学 (PHP新書)もおすすめ。


軽犯罪やらの取り締まりに、思ったほど劇的な効果はなかったみたいだけど、それでも多少の効果はあるのであろう証拠は、ちょっとずついろんな実験でたまってきているな、と僕は思う。

それはフーコー的な見えざる権力の顕在化を意味する

監獄の誕生―監視と処罰

監獄の誕生―監視と処罰

↑読んでません。


ぼくが問題にしたいのは、じゃあ次にどうする? っていうことだ。
犯罪発生率が下がるにしても、自分の住んでる町を落書き一つないお清潔な場所にしたいのか? っていうことだ。

レッシグは規制の四側面を指摘した。

CODE―インターネットの合法・違法・プライバシー

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↑ぼくが持ってるのはこっちだが、

CODE VERSION 2.0

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↑増補改訂版が出てるみたいなので今から買うならこっちだろう。

レッシグにならって、規制を以下の四つに分類して考えてみる。

  1. 法律
  2. 規範
  3. 市場
  4. アーキテクチャ

アーキテクチャっていうのは、ものの作られ方とか、ものそのものの構造のこと。

例えば、防犯のために鍵をかける、柵をつくるっていうのはアーキテクチャによる規制なわけだね。

規制の四側面は互いに独立したものではなく、相互に関連しあってる。

鍵をかけられると、そもそも鍵を開けなきゃいけない(アーキテクチャ)し、鍵を開けるピッキングの道具を買わなきゃいけないから泥棒ってあんまり儲からないな(市場)ってなったら、アーキテクチャによる規制と市場による規制の合わせ技だ。

ゴミだらけのところにはゴミのポイ捨てしやすいけど、ホコリひとつないところ(アーキテクチャ)を汚すのはなんとなく気がとがめるな(規範)ってなったら、アーキテクチャによる規制と規範による規制の合わせ技になる。

大事なのは、法律という明文化された規制以外の、アーキテクチャによる規制が操作しやすいものになってきているという点だ。

法律は一応曲がりになりにも国民の代表とされている人たちが、一応議論らしきものをして、一応ちゃんと明文化されている。
でもアーキテクチャは地域の商店街とか、都市計画を請けおったナントカ総研とかナニナニ建設とかとその下請けの人たちの、その場その場の判断によってなんとなーく決まってしまう。

環境犯罪学の発展は、アーキテクチャによる規制を明文化するチャンスになる。

落書きできることに価値があると思うなら、落書きできる分だけのグレーゾーンをあえて残す、という選択肢がとれるのだ。

ぼくは落書きができることには価値があると思う。
落書きは非合法な手段で強制的にメッセージを伝えることができる。
その自由があるならば、それによって犯罪発生率と死亡リスクが多少上がったところで、いいよ別に、と思える。

軽犯罪の取り締まりを強化して、町からホームレスを追い出してどこかに隔離したら、犯罪の発生件数は減るかもしれない。でも、ホームレスが身近にいることによって、世の中には貧乏な人がいるんだなーということを強制的に認識させることができる。
そのベネフィットがあるならば、犯罪発生率と死亡リスクが多少上がったところで、いいよ別に、と思える。

これはかなり極端な意見に思えるかもしれない。
でもそんなことはない。
日本人はお刺身を食べるし、生魚を食えば食中毒で死ぬ可能性もあるということも承知してる。
でも刺し身うめーというベネフィットと、食中毒というリスクを比べて、「刺身を食べる」という判断をくだしている。
子供に刺し身を食べさせる親は、刺し身のおいしさを伝えるというベネフィットと、食中毒というリスクを比べて、「刺身を食べさせる」という判断をくだしたわけだ。

ものごとには必ずいい面と悪い面があり、その二つを比べて選択して決断するというのは、どんな人でも日々やっている。

アーキテクチャによる規制を明文化するとしたら、なにによってするか? というとそれはやっぱり「法律」になるだろう。

商店街が防犯カメラを設置しまくって犯罪を減らすならば、その防犯カメラの映像はだれが所有し、どんなときに警察の手に渡すのか、ということを肖像権なり刑事訴訟法なりで定めるべきだ。

パトロールを増員してホームレスをどかすなら、それは都議会なり県議会なりでちゃんと議論した上でパトロール増員の予算を決めるべきだ。

僕の主張は規制を不完全なものにするために、アーキテクチャによる規制にグレーゾーンが残るような、明文化された法的な規制を置け、というちょっとひねくれたものになる。

これはたぶん現実的にはかなり難しいだろう。
でも、やったほうがいい。
そうしないとよくわからないところが勝手に権限を持って、よくわからないうちに勝手に「規制」が進んでしまう。

だから、法学者も工学者も統計学者も経済学者も、みんなで協力して議論してほしい。
専門家以外の人も、自分がなにをいやだと思ってなにに価値を感じているのか、未熟な形であれ表明してほしい。

そういうことの積み重ねで、世界はちょっとずつ良くなってくと思うし、ぼくは21世紀に入ってだいぶたったいまでもまだ、古臭い民主主義と伝統的な学問の力に本気で期待し続けている。