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廿TT

譬如水怙牛過窓櫺 頭角四蹄都過了 因甚麼尾巴過不得

メモ:背理法について

まとめブログ

本当とウソを見分けることはもうリッパな一つの論理的思考である。そこでは帰謬法が使われるのである。大衆が帰謬法を生活に適用することを学び、「逆は必ずしも真ではない」ということを会得したら、デマはその威力の半ばを失うだろう。
(遠山啓『文化としての数学』)

「ただなんとなく」と回答した人は複数回答をしていません。そうでなければきちんとした理由があることになり、なんとなくではなくなるから矛盾します(だいじょうぶですか?このくらいの論理には、ついてきてくださいよ)。
パオロ・マッツァリーノ反社会学講座』)

私が論証に際してしばしば「対偶証明法」を用いるのを、日本人で対偶を推論に活用する人は少ないということで珍重されているのだそうである。
へえ。そうなんですか・・・と足立さんの前ではうなずいてはみたが「対偶」が何のことだかわからない(文字を思いついただけでも多とすべきか)。
裏とか逆とか対偶とか、たしか数学でやったような気がするが、すべて遠い霧の彼方である。
内田樹 http://blog.tatsuru.com/archives/001061.php

ところで、遠山啓先生は本当に素晴らしい。数学と数学教育とその歴史、全部にくわしくて、その上で、子どものために何がいいかを考え抜いて、すごく明快な提言をまっすぐ素直な文章で書いていらっしゃいます。本当に、教育を語るんだったらこれくらいやんなきゃだめだ。
たぶん、僕がふだんものを数えるたりするとき、すでに遠山啓の影響から抜け出せない。

文化としての数学 (光文社文庫)

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反社会学講座 (ちくま文庫)

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寝ながら学べる構造主義 (文春新書)

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