廿TT

譬如水怙牛過窓櫺 頭角四蹄都過了 因甚麼尾巴過不得

ツイッターのまとめ方 :山形浩生氏によるマイクロファイナンス、稲葉振一郎先生によるトー・クン

Togetterを試しに使ってみたけど↓
http://togetter.com/li/85581

意外とめんどくせー
普通にコピペした方が早くない?
慣れると便利なのかな?あと人に見せるにはこっちのほうがいいのかな?


そうかもしれないな…


ちなみに、普通にコピペしてみた↓
稲葉振一郎先生によるトー・クン

shinichiroinaba 稲葉振一郎
われわれの世代を深く静かに直撃したエロ小説としてトー・クンTor Kung3部作というのがある。70年代末にフランス書院からたくさん出ていた翻訳エロ小説の一端を担っていた。

shinichiroinaba 稲葉振一郎
当時のフランス書院のラインナップは、著名文学者による覆面作や古典の類をメーンとした富士見ロマン文庫とは一線を画し、アメリカ中心に同時代のポルノ小説を紹介する、というもので、せいぜい古くて50年代、オリンピア・プレスまでだった。トー・クンもオリンピアである。
12月30日

shinichiroinaba 稲葉振一郎
日本では3部作だがトー・クンの作品は実際には2作で、1作は翻訳者小鷹信光によるパスティーシュであることは今日ではよく知られている。
12月30日

shinichiroinaba 稲葉振一郎
Forever Ecstacyの翻訳『女教師』は、原作のもろにインセストな部分がカットされた抄訳だが、小鷹氏はのちにカットした部分を基に贋作『姉』をでっちあげた。
12月30日

shinichiroinaba 稲葉振一郎
またMy Mother taught meの邦訳『義母』も原作をかなり改変している。実親子間のもろインセストは義親子間の擬似インセストに、もろ獣姦も擬似獣姦に、と全般にソフト化されている。
12月30日

shinichiroinaba 稲葉振一郎
おそらくはJ-Pop全盛でみんな洋楽を聞かなくなった時代と前後して、エロ小説市場も国内で飽和し、富士見は(のちの言葉でいう)ラノベ専業となり、フランス書院も国産オンリーとなった。その中で例外的にこの「三部作」はなお現役であることは興味深い。
12月30日

shinichiroinaba 稲葉振一郎
昔どこかのサイト(英語)で読んだのだが、オリンピア・プレスはたとえばアナイス・ニンのやヘンリー・ミラー、あるいは『O嬢』『イマージュ』、バタイユアラゴンのいくつかの作品のような、高踏的ポルノがむしろ種だったのだが、(続く)
12月30日

shinichiroinaba 稲葉振一郎
トー・クンの作品はその中で高踏性とか芸術的スノビズムを吹っ飛ばした即物的なドライさにおいて例外的であり、その後の展開に照らしてみれば先駆的であったという。
12月30日

shinichiroinaba 稲葉振一郎
要するに「抜かせる機械」に徹した純粋ポルノグラフィーの先駆ちゅうことやね。
12月30日

shinichiroinaba 稲葉振一郎
われわれの世代にとって戦後日本ポルノ小説の大家といえば川上宗薫宇能鴻一郎であるわけだが、この方々の出自は純文学だし、今読めば抒情とか諧謔の占める割合の高さに驚くであろう。
12月30日

shinichiroinaba 稲葉振一郎
ある種日活ロマンポルノと現代のAVの違いというか。いまでもロマンポルノの末裔たる「ピンク映画」というカテゴリーはあるとはいえ。
12月30日

shinichiroinaba 稲葉振一郎
何が言いたいかというと「萌え」以前の古典的ポルノの歴史をきちんと押さえないとどうにもならんと思うのだがどうなっているのだろうか。
12月30日

shinichiroinaba 稲葉振一郎
赤川学君は修論でポルノ研究をされていて、それは青弓社から刊行されていて僕も持ってるはずなのだが、埋もれていてどこにあるかわからん。
12月30日

shinichiroinaba 稲葉振一郎
くりかえすが僕の世代前後の、少なくともヘテロ男子におけるトー・クンの普及度は異常。某有力フェミニズム理論家(男)も愛読者だったことを告白している。
12月30日


shinichiroinaba 稲葉振一郎
トー・クンについて書きすぎて大蟻喰先生へのRTを流してしまった。あの一連のtweetは一読の価値ありだから皆さん読んでください。

…これも意外とめんどくせー